私たちのおこなう藍染には、無数の微生物たちの働きが関わっています。 土の中の微生物、蒅(すくも)の発酵を促す微生物、そして染液の中で活動する微生物。私たちの表現する藍色は、こうした目に見えない小さなものたちの働きによってもたらされています。一口に微生物といっても種類は様々で、それぞれの工程で複雑に絡み合い、常に不安定で揺らぎ続けています。
人間のエゴがバランスを崩すとき
藍の染液を管理する上で、私たちは微生物の栄養素として定期的に麩(ふすま)やお酒を与えます。この時、「もっと色を出してほしい」という人間のエゴが強いと、今度は悪い菌たちの栄養にもなり、かえって液の腐敗が進んでしまいます。
畑でも同じことが言えます。 土の栄養となる肥料のうち、藍の葉に有効な窒素を多く施用したとします。すると藍は栄養たっぷりの肥満体に育ちますが、その不自然に美味しい葉には虫が寄り付き、あっという間に食べ尽くされてしまいます。もちろん過剰な栄養は雑草をも元気にし、結果として藍の生育を阻害してしまいます。
何事も、度を過ぎることはよくありません。
良かれと思った人間のコントロールが、彼らの社会をいとも簡単に壊してしまうのです。
多様性が織りなす複雑な網目
微生物の世界で必要なのは「多様性を認めた社会」です。 多種多様なものたちが複雑に絡み合い、時には拮抗し、淘汰されながら共存している。彼らは決して単独で動いているわけではありません。
近年の研究により、それぞれの工程でどのような微生物が働いているかが少しずつ分かってきました。特定の有用な微生物だけを活発にするために、特定の栄養を入れれば良い藍色が生み出せるのではないか。そう考えたくなりますが、思い通りにいかないのが「多様性」の奥深いところです。
人間社会と重なる関係性
それは、わたしたち人間の社会ともよく似ています。 私たちもまた、自己を形成しているのは他者の存在であり、自分自身が何者であるかは他者との関係によって決まります。「わたし」と「あなた」、「わたしたち」と「あなたたち」。社会を構築する関係性は時を止めることなく常に動き続け、網の目のように複雑に絡み合い、些細なほつれが全体に大きな変化をもたらします。
ひょんなきっかけで、自分という存在が揺らいでいく。
そんなわたしたちと似たような社会を形成している微生物たちに対して、人間ができることは決して多くありません。
できるのは、彼らに耳を傾け、些細な変化を見逃さず、ただ静かに寄り添うことだけです。時には「コントロールする」ことをも手放し、自然の力に身を任せること。その揺らぎを受け入れた先にだけ、私たちの求める藍色があらわれるのです。